催事情報
55周年企画 創業者インタビュー
55周年企画
創業者インタビュー
鈴鹿園の成り立ちについて
---------------------------------------------
市川杢エ平
昭和16年3月27日、三重県茶農家の次男として生まれる。高校卒業後、静岡で2年お茶の勉強をし、日本各地でお茶の販売を学び、昭和43年2月千葉市に伊勢茶専門店「鈴鹿園」を出店。
夫婦2人で始めた茶店は、現在2店舗計9名で営業。
子供の頃からお茶の中で育ち、お茶のことしか知らない「お茶人間」。
朝昼夜の食事時はもちろんのこと、旅行先に「茶葉」を持参する程、いつもお茶のことばかり考えている。
趣味は、茶道、囲碁、読書、野球、温泉旅行など。
孫を可愛がる「優しいじぃじ」でもあり、休日は家族や友人と出かけることが多い。
-
では早速ですが、鈴鹿園の成り立ちについて教えてください。昭和42年9月、私と妻は三重より千葉へ移り住み、昭和43年2月1日から、家賃1万6千円の借家(千葉市蘇我町)の1階部分に茶箱を並べ、「お茶 鈴鹿園」の看板を掲げ、茶店を始めました。
店名は、鈴鹿山脈の麓にある茶園で取れるお茶を販売するということで、妻が「鈴鹿園」と決めました。
-
社長様は何故お茶の販売を行おうと思ったのでしょうか。お茶製造業者の次男として生まれ、兄である長男が家の後継ぎになるので、私は販売に回ろうと思ったのが始まりです。
実家を出て、静岡でお茶の製造を学び、札幌・仙台・広島での販売経験を経て、当時、高度成長期の千葉に引っ越し、今の鈴鹿園を立ち上げました。
-
千葉にお店を構えた時のお話があればお聞かせください。最初に三重と似た地形や地名にとても驚きました。
当時は自転車で販売に回ることも多かったのですが、坂が多いと販路の確保が難しいという問題も平坦な土地が多い千葉なら解決できました。また、雨の日は集合住宅(団地など)で販売していました。
あとは千葉の方の人柄がとても良く、三重から来た私達を近所の方々やお客様が温かく受け入れてくれ、本当に有り難かったです。
生後間もない娘を近所の皆さんが育ててくれました。今でも思い出すと私も妻も感謝の気持ちで涙が流れます。
お店を始めた当初は荒茶を七輪で火入れして販売するという、他の店舗では行わない本格的な製法を行っていました。店舗で火入れを行ったお茶を販売し、お客様に大変喜んでいただいたことを覚えています。
好景気にも恵まれ、年中無休で働く程お茶の販売量が増え、実家からの仕入れだけではとても追いつかなくなったので、三重の製茶会社から仕入れを行う現在の流れになりました。
ただ今でも自分の目口鼻手で茶葉を選定することは昔と変わっていません。毎年、産地に行き茶葉を買い付けています。
そして、昭和45年12月24日に現在の場所(千葉市南町)へ移転しました。 夫婦2人で、荷物を茶箱に入れ、自転車とリヤカーに乗せ、何度も往復し運んだことを覚えています。
現在の本店への引っ越しは、実は偶然にもお客様だったラーメン屋さんから売却を打診されたことがきっかけでした。まだ若い頃でしたので、父親に相談したところ、翌日には三重から現地を見に来てくれました。
他にも当時お世話になっていた不動産屋さんなど詳しい方にも聞いて、「この場所はいいぞ!!」とお墨付きをいただいたので、移転することになりました。
移転後の鈴鹿園は、夫婦2人に住込み店員と娘達を加え、賑やかになっていきます。
ただ今でも自分の目口鼻手で茶葉を選定することは昔と変わっていません。毎年、産地に行き茶葉を買い付けています。
そして、昭和45年12月24日に現在の場所(千葉市南町)へ移転しました。 夫婦2人で、荷物を茶箱に入れ、自転車とリヤカーに乗せ、何度も往復し運んだことを覚えています。
現在の本店への引っ越しは、実は偶然にもお客様だったラーメン屋さんから売却を打診されたことがきっかけでした。まだ若い頃でしたので、父親に相談したところ、翌日には三重から現地を見に来てくれました。
他にも当時お世話になっていた不動産屋さんなど詳しい方にも聞いて、「この場所はいいぞ!!」とお墨付きをいただいたので、移転することになりました。
移転後の鈴鹿園は、夫婦2人に住込み店員と娘達を加え、賑やかになっていきます。